20世紀の半ばに生まれた私、永岡杜人は、20世紀的な生活を送っている。21世紀のいま、生きるのが不自由でならない。煙草を吸う場所がない。写真のような浴衣に麦わら帽子で街を歩いていると、奇異な眼で見られる。プライバシーとかの関係でいったん住所を書いた紙をなくすと、調べようもない。作家の温又柔さんや、大学院時代に「永岡さんは、おじさんだからそう考えるのです」と厳しく私を批判した「沼ちゃん」と呼んでいた若き女性研究者にも、私の新刊『言葉が見る夢』を送りたいのだが、住所がわからん。スマホとかで簡単につながれるはずの現代は、20世紀に青春時代を過ごした私には、生きづらくてならんのだ。
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